日蓮大聖人御書全集 - 撰時抄の感想 (256ページ)
読了者数: 2人
感想一覧
「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」大聖人ご在世の時はともかく今は末法。種々の思想信条宗教が乱立し何が正しい教えなのか?そこは「如我等無異」の精神性の有無が大事な判断基準になる。「人間の行動は個人の思考で決まる」その「行動規範基は何なのか?」でしょう。大聖人の御書が法華経が誰かを介さないと読めないのであればそれは曲解の始まりで原文を如何に平癒な普遍的な言葉で言い表す事が出来るのか?それは理解度で有ると思う。誰かの権威付けに利用であればそれは曲解。民衆の為の普遍的な言葉で換言出来なければそれは誤りでしょう。大聖人はあくまでも民衆の為の教義の展開。でなければ阿仏房に対しても「我が宝塔である我を拝せ」と「我の題目と貴様らの題目とは格が違う」と仰せであろう。しかし実際は違う。どれを採っても「日蓮と同意」を求められてる。その事からして勘案しても正しい志向であり思考であろうと思う。
※未ログインの場合はログイン画面にジャンプします。