
2025年6月座談会御書解説 日眼女造立釈迦仏供養事
YouTubeにアップしている御書講義、解説の内容をこちらに書き起こしさせていただきます。文字で読みたい方はぜひご覧ください。
※動画編集作業の都合上、YouTube音声と以下の文章で多少表現が異なる場合がございますので、予めご了承ください。
拝読御文
譬えば、頭をふればかみゆるぐ。
心はたらけば身うごく。
大風吹けば草木しずかならず。
大地うごけば大海さわがし。
教主釈尊をうごかし奉れば、
ゆるがぬ草木やあるべき、
さわがぬ水やあるべき。
全 1187ページ 6~8行目
新 1610ページ 4~5行目
通解
たとえば、頭を振れば、髪が揺れる。
心が働けば、身体が動く。
大風が吹けば、草木も揺れる。
大地が動けば、大海も荒れる。
同じように、教主釈尊(御本尊)を動かせば、
揺るがない草木があるだろうか、
騒がない水があるだろうか。
大白蓮華2025年6月
背景と大意
本抄は弘安2年(1279年)2月2日、日蓮大聖人が58歳の時に身延で著された御書と考えられています。
対合衆は、大聖人ご在世の代表的な門下であった四条金吾の妻、日眼女です。
日眼女は37歳で厄年にあたることからそれに際して、
供養のために大聖人に釈尊の木像を造立を贈りました。
本抄はその真心に対する感謝とご指導のために送られたお手紙です。
本抄の内容
本抄ではまず釈尊の木像のご供養に対して、
お守り御本尊を書いて差し上げましょうと仰せになられます。
続いて、法華経寿量品をひかれ、
すべての仏、菩薩、また諸天善神等のその根本はすべて教主釈尊であると仰せになられ、それは月とそれが写る水面のようなものであると仰せになられます。
そしてその根本を動かしていけば、その影であるあらゆるものもまた、おのずと動かされていくとご断言になられます。
厄の事に話がうつり、
厄とはたしかに人生を揺るがしうる災難となることもあるが、しっかりと備えることにより、むしろ好転のきっかけとしていくことが
できると仰せになられます。
日眼女がこの度釈迦仏の木像を造立し供養されたことには、
大きな功徳があり、それは法華経に説かれているところであると仰せです。
法華経には、法華経以外の一切経に説かれなかった女人成仏が明確にあり、
このことは一切経を15回も読んだ天台大師が断言しているところであると
仰せです。
最後に、今の国では念仏を唱えるものばかりの中で、この度日眼女が教主釈迦を信仰したうえで、真心の思いで、釈迦仏の木像を造立し供養したことは、いまだかつてないことであるから、日本で第一の女人であると思いきっていきないさいと激励され本抄を結ばれています。
拝読箇所の解説
本抄で仰せの根本とは教主釈尊であり、その根本を動かしていくことによりこの世のすべてもまた動いていくとのご確信です。
また教主釈尊を動かすとの表現は、いったんどういうことかと疑問を持たれる方も多いと思いますが、これは今回の大白蓮華にもあったように、それはすなわち御本尊を信受し祈るということです。
本抄に於いては、日眼女から釈迦仏の木像が供養されたという点から、「教主釈尊」という言葉を用いられていますが、日蓮仏法に於いては、その根本とはすなわち、久遠実成の釈尊をも成仏に導いた根本法を示しているのであって、末法において大聖人ご自身が凡夫の身に開きあらわされた仏の生命、南無妙法蓮華経の御本尊を示しています。
大聖人ご自身の仏の生命を開きあらわされた
南無妙法蓮華経の御本尊を仰ぎ、それを明鏡として自身の仏の生命を開いていくことが本抄でいう「教主釈尊を動かしていく」
ということであり、諸仏、諸菩薩、諸天善神を揺り動かしていくことにつながっていくということなのです。
深堀ポイント
これから御書を研鑽される方のために、深堀していきたいポイントを確認していきます。
「教主釈尊を動かすこと」は「ご本尊を信受して祈ること」はなぜ?
今回の深堀ポイントは、なぜ本抄にある「教主釈尊を動かすこと」を「ご本尊を信受して祈ること」ととらえることができるのかということです。
今回の大白蓮華でもその点についての説明は簡略されていて次のようにあります。
「大聖人は、末法の衆生のために、仏の生命である南無妙法蓮華経を御本尊として
顕してくださいました。このご本尊を信受して真剣に祈ることが、
私たちにとっての“教主釈尊を動かす”実践になります。」
結論としては御本尊を信じ、南無妙法蓮華経をとなえていくことで
一切を揺り動かしていくことができるということですが、
教主釈尊を動かすことが、なぜ御本尊に祈ることになるのかという点について分かるようでわからない人も多いかと思いますので、
今回はその点を少し掘り下げていきたいと思います。
そもそも教主釈尊とは何のことでしょうか。
教学用語には次のようにあります。
御書中の用例としては、法華経に説かれる久遠実成の釈尊のことをさす。特に娑婆世界、すなわちこの現実世界の衆生を成仏へと導く仏が釈尊に他ならないという意味が込められている。
https://k-dic.sokanet.jp/教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)/
つまり教主釈尊とは、始成正覚の立場、一般的に認識されている釈迦を示すものではなく、あくまで久遠実成を説いた永遠の仏たる釈尊を示していることが分かります。
それでは久遠実成の釈尊とは何なのか
このことについて第三代会長池田先生はつぎのように仰せです。
釈尊は、「永遠の法」が、自身の生命のうえに顕現し、自身と一体となる境地を味わった。
目覚めて見れば、自分自身が「永遠の妙法」の当体であり、「永遠に活動する仏」であると悟ったのです。
この仏が、寿量品に説かれている「久遠実成の仏」です。
御書の世界
つまり久遠実成の釈尊とは、永遠の法と一体となった仏ということになります。
そうすると次は、永遠の法とは一体何なのかという話になります。
結論から言えばその法こそが南無妙法蓮華経であるということになりますが、
ご存じの方も多いと思いますが、法華経自体にはその永遠の法が一体何なのかは
具体的には明かされていません。
唯一、法華経本門の如来寿量品第16で「我本行菩薩道(私は久遠の昔から菩薩道を実践してきた)」(法華経482㌻)と述べて、釈尊自身が菩薩道を実践したことが、自身の成仏の原因であったと示しているだけであり、
どのように不退の菩薩道に入ったのかということは不明なままです。
日蓮大聖人は、この我本行菩薩道の文底に、法を見出され、ご自身の生命に開きあらわされた仏の境涯を南無妙法蓮華経とお名づけになり、その南無妙法蓮華経こそが久遠実成の仏の成仏の根本原因であることを覚知されました。
なぜ大聖人が南無妙法蓮華経こそが永遠の法であり、成仏の根本原因であることを知ることができたのかについては膨大な教学研鑽と非常に奥深い生命観、末法の御本仏たる所以がそこにはありますが、
私たち現代人にもわかりやすい観点からすれば、南無妙法蓮華経とはすなわち妙法蓮華経(法華経)に帰命する誓願だからであるというが一つの説明となるのではないでしょうか。
妙法蓮華経とは、あらゆる人の成仏を説いた唯一無二の経典であり、
そしてそこに説かれる永遠の仏は、先ほども言ったように永遠の菩薩道によって成仏したことが記されています。
菩薩行とは具体的に何かと言えば、それは人々の仏性を呼び覚ましていくことであり、それはまさに妙法蓮華経を広めてゆくことが仏の使命であることを示しています。
つまりは仏の精神こそが、妙法蓮華経に南無していくということであり、
そのこと自体が仏を仏たらしめているのであり、すなわち南無妙法蓮華経こそが永遠の仏の生命であり、
仏性を開く根本法であるということになるのだと思います。
教学に造詣の深い方ならばさらに具体的な文証を上げることが可能かと思いますが、
本動画に於いては説明をここで留めます。
話は戻って、これまでの解釈を踏まえていくと、
つまり久遠実成の釈尊とは、永遠の法と一体となった仏ということであり、
それはすなわち、南無妙法蓮華経と一体となった仏であるということになります。
そして御本尊とは何かを考えてみれば、教主釈尊を動かすことがなぜ本抄で御本尊を信受し祈る
という意味になるのかが見えてきます。
御本尊は、大聖人ご自身の身に覚地された仏の生命を文字曼荼羅に著したものです。
詳しい相貌に関しては、観心本尊抄や御本尊相貌抄を今一度ご確認いただきたいですが、
その様相は、十界本有の仏の生命、南無妙法蓮華経が現わされています。
教主釈尊を突き詰めれば、それは南無妙法蓮華経と一体となった仏であり、
御本尊は大聖人ご自身の仏性つまり南無妙法蓮華経を具体的に示されたものである
つまりどちらも実際の生身の人間に顕現された永遠の法、南無妙法蓮華経を表しています。
ただし御本尊は曼荼羅であって、実際の人間ではありません。
だからこそ、その曼荼羅に表現された仏の生命を明鏡として、
私たち自身が南無妙法蓮華経を唱えていく、それにより私たち自身の仏性もまた開かれ私たちも南無妙法蓮華経と一体となることができるのです。
久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別なしと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり
生死一大事血脈抄
の御文が思い起こされます。
大聖人が本抄の中で御本尊に祈るという表現を用いずに、教主釈尊を動かすと表現されたのは、
日眼女に送られた釈尊の木像を起点に指導されているからであると推察されます。
ですからすべてのものは教主釈尊の影であると表現された箇所も私たちにとって見れば、万物、森羅万象はすべて私たちの身に顕現された南無妙法蓮華経の影なのだと解釈することができます。
だからこそ、今回のご指導を厄災を危惧する日眼女に送られたのではないでしょうか。
一切の厄災もあなたの真剣な祈りによって、好機へと転じていけるのであると。
それは万物・森羅万象はあなた自身の信心を映しているものだからであると。
ここまで学習してみると、本抄の冒頭の部分で、大聖人が「お守り御本尊を差し上げましょう」と語られた甚深の意義がひしひしと感じられます。
一切は南無妙法蓮華経である。本来は謗法とされる仏像の造立も、真心から釈尊の木像をおくった日眼女の行いに最大限に敬意と感謝を表しつつ、どこまでも門下を正しく導いていこうとされる大聖人の大慈悲が感じられてなりません。
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