
2025年4月座談会御書解説 兄弟抄
YouTubeにアップしている御書講義、解説の内容をこちらに書き起こしさせていただきます。文字で読みたい方はぜひご覧ください。
※動画編集作業の都合上、YouTube音声と以下の文章で多少表現が異なる場合がございますので、予めご了承ください。
拝読御文
各々随分に法華経を信ぜられつるゆえに、
過去の重罪をせめいだし給いて候。
たとえば、鉄をよくよくきたえば
きずのあらわるるがごとし。
石はやけばはいとなる。
金はやけば真金となる。
全 1083ページ 11~12行目
新 1474ページ 1~2行目
通解
あなたたちは、
懸命に法華経を信じてきたので、
過去世の重罪を責め出されているのです。
たとえば、鉄を十分に鍛え打てば
内部の傷が表面に現れるのと同様である。
石は焼けば灰となる。
金は焼けば真金となる。
大白蓮華2025年4月 座談会御書
背景と大意
本抄は建治2年(1276年)4月、日蓮大聖人が55歳の時に身延で著され
武蔵国池上(現在の東京大田区の池上)の門下である、
池上宗仲と宗長兄弟とその夫人たちに送られたお手紙です。
池上家は、有力な工匠として幕府につかえていましたが、
兄の宗仲が法華経を信仰したことにより、父、康光に勘当されてしまいます。
康光は真言律宗の僧であった極楽寺良観の熱心な信者だったためです。
鎌倉時代に勘当されるといえば、現代的な意味よりも重く、
それは家督相続権を失い、経済的基盤自体を失うことを意味しています。
また兄の宗仲が勘当されるということはすなわち、弟の宗長に家督相続権が
与えられることを意味し、兄の勘当により、弟の宗長も激しく動揺していたとされ、またその夫人たちも同様です。
本抄の内容
本抄は、父からの勘当があったことの報告に対するご返信のお手紙となっています。
本抄はまず、法華経こそが最勝の経典であることをご断言になられる箇所から始まります。
各々の経典がわれこそ第一になりと主張しているが、その内容を見れば、その優劣は明らかであると仰せです。
そして過去の人々が、法華経以外の経典を重んじ、法華経をすてたことによって
無間地獄に落ちた例をいくつかあげられます。またその罪は五逆罪を犯したものよりもはるかに重いと仰せです。
法華経の行者が最も恐れるべきは、犯罪者や、当時の蒙古襲来などではなく
法華経の信仰から遠ざける働きをする存在であり、
その根本原因は、第六天の魔王のとりいった悪知識であると断じられます。
続いて、法華経の行者が遭う難について、
その原因は、過去世における謗法の罪によるものであり、
今世で、信仰を貫くことによりその罪を転重軽受していけるとご断言になられます。
今、宗仲、宗長が三障四魔のさなかにあるのは、これまでの信心のたまものであり、
これからも兄弟、そしてその夫人も含めて皆が団結し、
この難を乗り越えていくよう激励され本抄を結ばれています。
拝読箇所の解説
各々随分に法華経を信ぜられつるゆえに、
過去の重罪をせめいだし給いて候。
最勝の経を信奉するにも関わらず、
父からの勘当という難に遭う理由は、
過去世に謗法を犯したからであり、
いまこの信心を貫くことによって、
過去の重大な罪を、軽く受けているのであると仰せです。
それは涅槃経や般泥洹経(はつないおんぎょう)に記されている通りであると仰せです。
涅槃経に云く「横に死殃に羅り訶嘖・罵辱・鞭杖・閉繫・飢餓・困苦・是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云、
般泥洹経に云く「衣服不足にして飲食麤疎なり財を求めるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種種の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」
たとえば、鉄をよくよくきたえば
きずのあらわるるがごとし。
石はやけばはいとなる。
金はやけば真金となる。
そして今世で信心を貫くことによって罪業消滅させる様は、
鉄を鍛えれば、その傷が表に出て表れてくるようなものであると仰せです。
信心が弱ければ、難に敗れて法華経を捨ててしまうことは、
石を焼けば灰となるようなものであり、
また逆にどこまでも強盛に信心をを貫いていくならば、
それは金を焼くように、ますますその輝きを増していくと仰せになられています。
深堀ポイント
これから御書を研鑽される方のために、深堀していきたいポイントを確認していきます。
「目の前に信仰を捨てようとする人がいる時、あなたなら何を語ることができるか」
今回の深堀ポイントは、
「目の前に信仰を捨てようとする人がいる時、
あなたなら何を語ることができるか」とはどういう意味なのかということです。
本抄はすでに解説した通り、池上兄弟およびその夫人を激励するため、
難に立ち向かっていく姿勢や心構え、法華経の法門を詳しく述べられたものです。
ただ当時のほかのお手紙なども見ると、
必ずしも全員が断固たる決意でいたというわけではありませんでした。
特に弟の池上宗長は、兄が勘当に遭ったことに激しく動揺していたと見られています。
大聖人もそのことをご存じの上で、本抄でも厳しいお言葉をかけられています。
ひやうへの志殿の事は今度は・よも・あにには・つかせ給はじ
最終的には、信仰の決意を固めて信心を貫くことができましたが、
事件発生直後などは、何があっても信仰を貫いていくということが言い切れない心境であったため、
このようなお言葉をかけられていたのでしょう。
今回の拝読箇所の内容も、今が信仰の勝負点であるということを
様々な法門を引かれて仰せになられ、ある意味では、弟の宗長を説得するような内容となっています。
信心が固く日々信仰を磨き上げている人からすれば、
今回の拝読御文は、信仰をこれからも弛まずつづけていくための一つの戒めと捉えることができますが、
本来の本抄の背景からすれば、これは今にも退転しそうな人に送られたお手紙であり、
その視点にたって拝することが重要であると思われます。
自分の親しい人が信心を捨てそうなとき
たとえばあなた自身の信心が堅固く不退転の覚悟があったとしても、
あなたの近しい人、肉親、子どもなどはどうでしょうか。
あなたが信仰を貫いてほしいと強く願う人の心が揺らいでいるとき、
あなたならなんと声を掛けられるでしょうか。
現代は当時のような封建社会ではありませんが、
たとえば、
- 結婚を機に相手方の両親、親族などからつよく信仰を反対されている。
- 学会員であることが原因で会社などで冷遇される
- 住む地域で、学会嫌いの人が多くいる
信仰を持つことが、暮らしにくさにつながってしまうように見える
ケースはあります。
大聖人は、転重軽受の法門、三障四魔の法理など
過去現在未来に渡る仏典の壮大な生命観を通して、池上兄弟らを激励されました。
しかしこれは大聖人が当時の時代背景や、池上兄弟をよくご存じの上で、
かれらに最も響く形で語られたことであり、
今回の御文をそのまま現代の人に語り掛けても、
話が全く通じないことが多いと思われます。
過去の罪業や未来の苦難を今軽く受けているなどと言っても、
ピンとこず、納得できない可能性があるといことです。
あなたならなんと声をかけるか、
このことを考えることは、突き詰めれば
あなたが今なぜ信仰をたもっているのかを問い直すことでもあります。
あなたにとっての信仰の意味とは
あなたがなぜ今信仰を持っているのか
それは幸せな人生を歩んでいくためでしょう。
そしてなぜこの正法を受持すれば幸福になれるのか、
それはこの信仰がどんな状況からでも希望を見出して行ける万人成仏、凡夫成仏をといた最勝の法だからです。
しかしあなたが信仰を保つ理由はそれだけでしょうか。
教義が正しく納得しているから信仰を保っているのでしょうか。
たしかに論理的な思考の果てに、この信仰の正しさを見出し、保つことにした人もいなくはないでしょう。
しかしそれだけではないはずです。
そこには必ずあなたの信頼できる人がいたはずです。
そして今も信頼できる同志、または家族、またはその人たちとの金の思い出、約束があるからこそ
あなたは今も信仰を保っているはずです。
教えがいくら正しくとも、語る人を信頼できなければ正法は成立しません。
池田先生は自身の入会のきっかけとなった座談会での
戸田先生との出会いを次のように語っておられます。
「この時、私は深遠な仏法の哲理を、十分に納得できたわけではない。
家族も大反対であった。ただ私は、表層の次元を超克して、
戸田城聖という人格に魅了されてならなかったのである」
https://www.sokanet.jp/kaiin/kofushi/08.html
信仰の動機、入信のきっかけはひとそれぞれです。
しかし学会の信仰は常に信頼によってつながれてきました。
池田先生が戸田先生を信頼したから入会したように、
戸田先生もまた牧口先生を師事していたからこそ入会しています。
人の信頼の絆があって初めて私たちは正法を受持することができるのだと感じます。
信頼が信仰を正しく受持させる
本抄では、難の時こそ、強く信仰を貫けるかに
人生が正しく進むのか否かがかかっているという、
個人の意志力や粘り強さ、信仰心の強さが問われていると多くの人が感じていると思います。
しかし後半の結びの部分においては、
信仰者同士の絆の重要性も同時に強調されているのです。
今二人の人人は隠士と烈士とのごとし一もかけなば成ずべからず、
譬えば鳥の二つの羽人の両眼の如し、又二人の御前達は此の人人の檀那ぞかし
一同して夫の心をいさめば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし
大聖人は、三三蔵祈雨事でつぎのように仰せです。
夫れ、木をうえ候には、大風ふき候えども、つよきすけをかいぬればたおれず。本より生いて候木なれども、根の弱きはたおれぬ。甲斐なき者なれども、たすくる者強ければたおれず。すこし健げの者も、独りなれば悪しきみちにはたおれぬ。
三三蔵祈雨事
たしかに個人の透徹した信念が重要であり、難の時こそ信心が試されるとは、
今回の拝読箇所の趣旨でもあります。
しかしそれは決して孤独な戦いを意味しているのではありません。
かならずそこには信頼の絆が必要であり、そのきずながあればこそ人々は
鉄のように強く自信を鍛えることができるのであり、
炎にはいって、自らを真金としていけることができるのです。
もし目の前に信仰から離れようとする人がいるならば、
その人にとって今最も必要なものは、教義的な正しさや訪問を語ることに加えて、
何よりも信頼が必要なのかもしれません。
信心はやめないほうがいい、何かあったときに絶対に支えになるものだから、
そういった言葉をかけるのもよいでしょう。
しかしその言葉以上に、その人を絶対に幸せになってほしい、
幸せにするんだという強い覚悟が大切ではないでしょうか。
その強い覚悟に立つならば、あなたがその人にかける言葉はおのずと見えてくるはずです。
後年、池上兄弟はみごとその信仰を貫き、最後には反対していた父をも正法に導きました。
父を正法に導いたことは、誰もが驚愕し称賛する結果です。
しかし重要なことは、その結果にかかわらず、大聖人を心から信頼、尊敬し
池上兄弟そしてその夫人たちが真の信仰者の姿を示そうと懸命に努力し互いに支え合ったことです。
そして団結の姿にこそ、強靭なくろがねの威厳、そして類まれなる真金のまばゆい光彩が燦然と輝くということです。
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